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岐阜の有名廃墟ホワイトスラム再訪

岐阜の有名廃墟ホワイトスラム再訪

久々に岐阜方面へ

B級スポット初心者の後輩を誘い、岐阜市のホワイトスラムと呼ばれる廃墟に再訪してきた。実は、昨年秋、いちど訪問しているのだが、軽装およびまだ草木が生い茂る季節だったため途中で断念。冬場の藪漕ぎ不要な今、再度訪問としたわけだ。

新興宗教跡地ホワイトスラムと古津楽園跡

通称ホワイトスラムは長良川沿いの県道から見ると、山の中腹に忽然と現れる白い塔。既に廃墟となっている新興宗教団体のまぁまぁ大きい仏塔である。その周辺に高度成長期に作られたレジャー施設「古津楽園」の廃墟がある。

我々は、県道のトンネル手前にあるパーキングエリアにクルマを停め、ホワイトスラムまでのハイキングに出発した。 登り始めてすぐのコテージや売店跡は前回写真に収めてのでスルーして、 舗装がはがれたのか、大きな石を埋めただけの道を登っていく。さすがに真冬となると草木も枯れ、前回途中であきらめたあたりも一切の藪漕ぎ不要で進軍できた。夏場であれば「雪の進軍」ならぬ「草の進軍」となろう。猿投ほどではないが、大雨で道が崩れ、大きくえぐれて崩落している箇所があるので、乗り物で上に行くのはトライアルバイク以外はムリだそう。

少し開けたところに高度成長期の公園に多数設置されたキノコ型ベンチを発見。ホワイトスラムは目と鼻の先の一段高い丘の上だ。意外と訪問者が多いのか、道は消失していない。階段を上りついに念願のホワイトスラムの裏側に登頂した。正面に降り、ホワイトスラムの雄姿を拝む。内部を見たところ物置というか生活痕があったので誰かここで雨風をしのいだのだろう。

参道の急な階段を下りていくと左右に崩壊の進んだコンクリのゾウさん登場。鼻の芯がゴムホースとなっている。さらに降ると開けた場所になり、有名な廃バスが。廃バス内部は物置となっていたようで数十年前の家電やらが朽ち果てていた。バスがここにあるということは、かつてはここまで道が通じていたということだ。その道も草木に覆われ、いまや人が通れるかどうかという痕跡しか残っていない。

さらに降っていくと、売店跡なのか屋根のような部分が残ったコンクリの基礎とも擁壁ともいえない物件に遭遇。その奥の雑木林の中に大きな建物があったので入ってみた。1階は何十年も放置された物置状態、レジャー施設で使われていたと思われるシャンデリアやらイスやらが散乱、そして2階へ。日差しの差し込む2階は、意外と崩壊が進んでいなく有名なダルマと龍の襖絵も健在であった。

エモさ溢れる柳ケ瀬商店街

ホワイトスラムを堪能した後、我々は柳ケ瀬商店街へ、向かった。前回訪問は昨年の夏なので、高島屋周辺は様変わりしている。高島屋の南側一画が再開発計画で地上げ、立ち退きがかなり進んでいる。エモいスナック街や古臭い商店など、もう見ることはできなくなるだろう。商店街の古臭い店や風俗看板などにツッコミを入れているうちに昼飯タイムとなり、どこか古臭くてエモい店はないかと探す。前回訪問でカレーを食したレトロな喫茶田中は照明がついているもののドアは閉ざされており、営業しているかどうか不明であった。そこで柳ケ瀬で創業100年というラーメン屋に行くことに。大通りの反対側の「丸デブ総本店」はすぐに見つかった。席も丁度二人分空いておりラーメンを注文する、客の絶え間のない繁盛店だ。こちらの店、ラーメンとワンタンしかないので注意、オールドスクールなラーメンを食す。

ラーメンの後は終日モーニングの看板に惹かれ、通りのフルーツパーラーへ、何を隠そうラーメンが少ない盛りなので、もう少し何か欲しいところだったのだ。

説明不要、田縣神社♂と大縣神社♀

犬山経由で名古屋方面に戻る途中、田県神社があったので寄ってみた。実に30年ぶりだ。昔は横に秘宝館があったんだけどね。神社に行くと必ず見るのはみんなが奉納した絵馬。とんでもないお願いをしている奴がいたりして面白い。さすが珍子神社、「いろんな女とやれますように」「性病にかかりませんように」といった絵馬があった。

ついでなので、反対側の大縣神社へ。こちらは初訪問となる。山のふもとにあり大きな森に囲まれ荘厳な雰囲気。神社かと思い行きや普通どころか品のいい神社だ。田縣神社にくらべ、あまりこちらがネタにならない理由はこれだろう。
例の姫岩の奥は最近切り開いたばかりのようだ。奉納の石碑には多くの尾張の一流企業の名前が 彫られている。こちらは3月ごろ斜面いっぱい梅の花が咲き、梅見フェスティバルが開催されるとのことだ。